「8つの間切から3つの間切へ」                    中1、2    社会   
   
 

 本時は,中学校社会科「身近な地域の歴史」の中の小単元「寄百姓-江戸時代の竹富町」の中の1校時目である。現行の学習指導要領では,「身近な地域の歴史」学習の意味を「身近な地域の歴史や具体的な事象の学習を通して歴史に対する興味や関心を高め,様々な資料を活用して歴史的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる。」と述べる。
  以上のことをふまえて小単元「寄百姓-江戸時代の竹富町」の目標を次のように設定した。江戸時代において、竹富町の黒島・小浜などの島々から、石垣島や西表島に強制移住(寄百姓)が行われることによって、島々の文化を受け継いだ新しい村が生まれたという身近な地域の歴史を教科内容とする、その際、検地による村高、近世八重山の8間切および3間切、1651年の八重山の村別人口表、八重山の人口動態表、寄百姓年表、1771年の津波による村別人口変化グラフという教材を通して、子どもたちは興味や関心を高め,多面的・多角的な考察と相互の吟味により、認識の深まりを子どもとともに確認し、喜びを分かち合う。

 
   
 

   学年:中学校1・2年 社会科
    単元:「身近な地域の歴史」 
    小単元「寄百姓-江戸時代の竹富町」1時限目(4時間中)

 
   
 

・8間切制時代(古琉球・近世初期)の竹富町領域の村名を、地図と生活体験から得た知見をもとに推測することができる。
・自己や他者の優れた推論を賞賛することができる。
・推測するという知の営みの結果として、近世初頭における八重山における竹富町領域の島や村名が認知されるだけでなく、竹富町領域は石垣市領域よりも村が多く、米生産性も多かったことが認識できる。

 
   
 
  学習の展開 教師の支援・評価の観点

教材、江戸時代の初頭、八重山が八つの間切・島に行政区分されていた時代の村分布図を見る ・1609年、琉球王国は、徳川幕府の承認の元、鹿児島の島津氏によって侵略され、島津氏の支配をうけるようになり、八重山の八つの間切や島の各村にも検地が行われたことを説明する。 

<評価>
・説明を聞く姿勢・態度

 
 

・表の中に竹富町領域にあったと思われる村には☆をにつけていく。

 

 

・対立した村に関してだけ、そう思った理由を書く。

・それぞれのグループ内で意見を発表する。

・ 他者の発表をメモし,他者の意見と自分の意見と同じ点・異なる点をノートに書き入れる。





ノートしたメモのうち、賞賛したい箇所に下線を引き賞賛マークをつける。

・検地の結果、村ごとの生産高が決められて表のような結果になった事を説明し、「現在の竹富町にあった村だとあなたが思う村には☆を表の中につけましょう。」という発問をする。

・ 村名をあげ、☆ならば手を挙げさせ、対立した村だけ、そう思った理由を書かせる。

・ グループ内で意見を交換する。

・ 理由を書いている時に期間巡視し、子どもの意見分布やすぐれた根拠やみんなが思ってもいなかった意見を把握する。

・ 意見交換の時には、焦点となりそうなグループに入りよく聞く。

・ ノートに賞賛印をマークするよう指示する。

<評価>
根拠ある推論と自己・他者賞賛

意味ある推論の紹介
 

・下記のような答を表から読み取る

@ 西表間切と波照間島
A 古見間切
B1位大浜村、2位祖納村、3位石垣村
C 下の地図の中に500石以上の村は◎石垣島に2村、西表島に1村、100石以上の村は西表島に7村、石垣島に6村、小浜島に1村、波照間島に1村、与那国島に1村

 

 

 

 

8つの間切島が、石垣にある3つの村の名前を冠した3間切になったのは変だ?

下記の四つの質問の答えを書かせる。

@この八つの間切の中で一番村数の多い間切・島はどこですか。         
Aこの八つの間切の中で一番生産高の高い間切・島はどこですか。
B八重山の中で、生産高の高い村、ベスト3はどこですか。
C下の地図の中に500石以上の村は◎ 100石以上の村は○を付けてみましょう。

<評価>
展開で拡散した思考をまとめの作業をする中で、江戸時代初頭の八重山における竹富町認識を深めていく能力

 

最後に8つの間切が石垣にある3つの村の名前を冠した3人の頭が支配する3つの間切なったというのはどうしてかなという疑問を提示して終わる。

 
   
 

(1)生徒の思考と賞賛
@私は、「ふなうけ」という村が現在の船浮という村と音が似ているので、竹富町にあった村だとした。対立することはなく竹富町の村ということになったが、そのことを、先生が私の名前をあげずに指摘してくれたのでうれしかった。A崎枝村が竹富町にあった村であったかどうかが、議論になった。私は現在、石垣島に崎枝という場所があることを根拠にした。それに対して、崎枝は地図でみると古見間切に属している。古見は西表島にあるという意見が出て、なるほどと思った。
B与那国島が西表間切に属していたり、小浜島や鳩間島が古見間切に属していたり、竹富島が石垣間切に属していたり、今と違ってびっくりした。

(2)考察
@は、埋もれてしまっていた多くの子どもたちが推論した「音が似ている」という根拠を、みんなの前で明らかにすることによって、多くの子どもを賞賛でき、満足感を与えるという効果を得ることができた。
Aは「石垣島に崎枝という場所がある」という子ども已有の知識を根拠にする私に対して、表や地図を観察して、それを根拠にすることはより深い認識で賞賛に値するという認識を示すものである。
Bは、まとめの作業をする中で、表と地図を観察する中で生み出された「今と違ってびっくりした」という落差である。この落差を埋めたいという衝動は興味となり、たとえば古見と小浜の文化の共通性を考えてみたくなるであろう。ちなみに古見と小浜にはアカマタ祭祀がある。

 
   
 

PC関連
   教師用PC(1台),プロジェクタ,教材CD
・プロジェクタ等で教材を表示するのみならず、クラス全員ひとりひとりに教材を含み込んだワークシートを配布する

 
   
 

教材URL:「教材ソフト一覧」にて教材を閲覧下さい 
    http://oecc.open.ed.jp/cdrom/noteword/note18.doc
    http://oecc.open.ed.jp/cdrom/notepdf/note18.pdf
沖縄県立総合教育センターに,竹富町教育委員会(結び合うしま島)として登録されている教材の一つである。
『寄百姓-江戸時代の竹富町』は竹富町の島々の近世史を考えるワークシートになっている。

今回の学習では,この中の「8つの間切から3つの間切へ」を活用した。


 
 
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